実践リスク・マネジメント

リスク・マネジメントは2009年11月、国際標準(ISO31000)となりました。

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日本柔道界のリスク・マネジメントに倣い 菅政権は危機管理体制を構築せよ

(2011年3月 7日公開)

<提言>──武井勲(武井勲リスク・マネジメント研究所=TII=所長)

ビジネス情報月刊誌「エルネオス」2010年10月号掲載
 
■民主党代表選に勝利した菅首相の使命は、主要国と比較して見劣りする日本の危機管理体制を
早急に構築し、具体策を示すことである。リスク管理の第一人者が示す提言シリーズ第2弾──

 

日本柔道界は合わせ技一本

「世界柔道、日本が金ラッシュ」は嬉しいニュースだった。柔道といえば、オリンピック金メダル第一号、ヘーシンク選手が八月二十七日に他界された。一九六四年、第十八回東京オリンピックで神永昭夫選手を破りつつも礼を重んじた決勝戦を想起しつつ、冥福を祈ったファンも多かったことだろ
う。
 日本のお家芸である柔道のオリンピックでの敗退は、多くの柔道ファンにとって信じがたく、受け入れがたかった。しかし、その後、日本柔道は幾度もの試練を乗り越えた。そして、進歩、発展、飛躍を続けてきた。
 このことをリスク・マネジメントの見地からみるならば、日本柔道界は何をしてきたといえるだろうか。
「精力善用、自他共生」という講道館柔道の精神または使命(目的、目標)に沿って、リスクを確認し、測定し、リスク処理技術を選択し、実施し、統制するというプロセスを守り続けてきた──リスク・マネジメントを実行してきたといえる。
 もしそうだとすれば、日本柔道界はリスク・マネジメントで「有効」「技あり」、「合わせて一本!」と高く評価することができる。
 

日本柔道界のリスク・マネジメント

 前号で「国際標準になったリスク・マネジメント」ISO31000について紹介した。また、「リスク・マネジメントは、バランスの取れた意思決定がコツ」とも書いた。そして、この連載での提言を実践することによって期待できる効果を十七項目列挙した。それらを日本柔道界に当てはめて検証してみよう。
 今回の世界柔道選手権における日本柔道の金メダルのラッシュで著しいのは、若い選手の台頭である。柔道人口は、少子高齢化という時代的かつ自然的ハザードがあるにもかかわらず層が厚いことを実感できる。併せて、指導教育の有効性・効率性をうかがい知ることができる。このままいけば、二年後のロンドン・オリンピックにおいても柔道ニッポンへの期待は高まるばかりといえる。
 一九六四年の東京オリンピックから二〇一〇年世界選手権柔道大会までは約四十五年。この四十五年間の日本柔道界のリスク・マネジメントはどのように評価ができるだろうか。評価すべきポイントを列挙してみる。
①日本柔道界のリスク・マネジメントは、「一本勝ちの柔道復活」という柔道界の組織の使命(目標・目的)を達成し、一種の価値を創造することに成功した。
②日本柔道界の組織のすべてのプロセスにおいて、リスク・マネジメントは不可欠な部分となり、かなり実践されている。
③リスク・マネジメントは、日本柔道界の運営において意思決定の一部になってきた。
④日本柔道界は、あいまい・うやむや・まあまあ・なあなあといった日本人社会の持つコミュニケーションの不確かさに対し明確に対処するようになってきた。
⑤敗因、モラール(士気)の低下、外国選手の台頭、国際ルールの変化などに対する分析、その教訓の整理、そこからの学習、教育、鍛錬、方策などが組織的・多岐系的・継続的に時宜を得ているといえる。
⑥日本柔道界のリスク・マネジメントは、利用可能な最善の情報(ベスト・プラクティス)に基づいて、目標設定(ベンチ・マーキング)が行われている。
⑦日本柔道界の「リスク・マネジメント体制」は、組織に合わせてつくられている。
⑧日本柔道界のリスク・マネジメントは、人的および文化的要因を考慮に入れている。
⑨日本柔道界のリスク・マネジメントは、透明性があり、かつ包括的である。
⑩日本柔道界のリスク・マネジメントは、繰り返し行われ、変化に対応する仕組みになっている(PDCAサイクル[Plan=計画→Do=実行→Check=評価→Act=改善]が回っている)。
⑪日本柔道界のリスク・マネジメントは、組織がそれを継続的に改善し、強化・促進する仕組みになっている(「リスク・マネジメント体制」の構築・維持ができている)。
 

ベスト・プラクティスとベンチ・マーキング

 吉田兼好の『徒然草』に「先達はあらまほしきものなり」とあるが、柔道界には模範となる指導者がいたということだろう。
 ここに挙げたリスク・マネジメントに関する十一の評価ポイントは、日本柔道界に限らない。あらゆる組織や個人が「国際標準になったリスク・マネジメント」ISO31000の原則とプロセスを実践した場合に引き出すことができる効果である。
 実際、必ずしもすべての日本柔道界の関係者がリスク・マネジメントを意識して、ISO31000の原則、共通言語、プロセスという枠組みに従って組織的・体系的・継続的に行った成果と言い切ることはできないかもしれない。しかし、仮に日本柔道界の関係者が意識していなかったにせよ、やってきたことのかなりの部分がISO31000に近いものになっているのではないだろうか?
 いずれにせよ、薦めたいことは、今後、日本柔道界のみならず、すべての組織(例えば政党、政府組織、政治家、相撲協会、独立行政法人、企業個人等)が意識して、「リスク・マネジメント体制」を構築し、維持して(PDCAサイクルを回して)いくことである。
 その場合、お手本になるリスク・マネジメント(ベスト・プラクティス)を探して、それをお手本もしくは、追いつき、追い越そうとする目標にすること(ベンチ・マーキング)を薦めたい。このような観点に立って、いくつか、リスク・マネジメントと危機管理術を考察してみよう。
 

民主党代表選挙で提示されなかったこと

 民主党の代表選挙は菅直人首相が勝利したが、その選挙戦はなかなか面白かった。というより、かなり国民の注目を集めた。一応、政策論争らしき体を成していたからである。その意味で、消去法的選択でしかないという、当初みられた消極派の期待を裏切ったかもしれない。
 しかし、もっと厳しい真剣さから、日本の総理大臣選びに直結する選挙に落第点をつける人もいよう。「この国の形」を、「国家のビジョン、経営理念、および戦略という3点セット」にして、管直人vs.小沢一郎が明確かつ十分に提示しなかったからである。
 それにしても、さすがにわが国のリーダーたちである。両人とも千両役者で、演説も熱気があってなかなかよかった。もっとも、日本人全般に、特に政治家に、もっと演説の鍛錬を期待する向きも少なくないことも付言しておくべきだろう。
 あるマスコミは、「最も議論してほしいテーマは?」というアンケートの中で、次の十三項目に関し問いかけていた。
①将来の国家像、②円高やデフレ対策などの経済政策、③雇用対策、④消費税、⑤外交方針、⑥普天間問題、⑦社会保障、⑧政治主導、⑨公務員改革、⑩政治とカネ、⑪ムダ削減、⑫民主党マニフェスト修正の是非、⑬その他
 最近、「日本人に抜け落ちているのは危機意識である」という指摘は多方面から、頻繁になされている。指摘は正しい。ではどうすればよいのか? 国民全体に、リスクの感知力、リスクの評価力、リスクの解決力を教育し、訓練することが必要だ。問題は山積だがこれらのテーマもリスク・マネジメント(危機管理を含めた)の国民的教育、特にリーダーの教育と訓錬で解決可能である。三年間で、政官財、病院・学校・地方公共団体等あらゆる組織にそれぞれの使命を達成し、社会に貢献するリスク・マネジメント体制作りの教育・訓練プログラムを開発してはどうか。
 

政府に示してほしいリスク・マネジメント体制

 二〇〇一年九月十一日、筆者には三つのリスク事象が忘れられない。
①日本で初めてBSE(牛海綿状脳症=狂牛病)にかかった牛に関する報道が行われた。
②台風の来襲によって、六時間以上もの間、帰宅難民になった。
③米国同時多発テロに目を奪われた。
 この日から二カ月ほど過ぎた頃、英国のトニー・ブレア首相の巻頭言が載った『政府のリスク・マネジメント』に接した。その調査は、米国同時多発テロに遡ること一年以上も前から始まっていた。政府の「リスク・マネジメント体制」を包括的に、実際に即して調査した膨大な資料であった。
 日本の各政党に提言したい。政権を担当した場合のマニフェストに、ビジョン、経営理念および戦略を示すこと、それと併せて、政府の「リスク・マネジメント体制」を構築・維持する基本方針と具体策を公示することを。
 日本に「リスク・マネジメント体制」が整っていないことは、主要国の危機管理体制等を比較調査すれば明らかである。主要国の危機管理体制等の比較調査によれば、いずれもキーワードは、「国家安全保障」、「国土安全保障」、「危機管理」の三語である。
 まず米国の危機管理体制をみると、日本との大きな違いは、米国が軍事的な危機と、大規模事故や大規模自然災害への対処を大きく区分していることである。軍事的な危機は国防総省が管轄し、大規模事故や大規模自然災害への対処は、二〇〇二 年三 月に、連邦緊急事態管理庁(FEMA)や沿岸警備隊などを統合した十七万人規模の国土安全保障省が設立され、危機管理主管官庁として、いっそうの中央集権化が進められている。
 そして、英国でもこれらは区分されている。安全保障や緊急時の危機管理の中心は内閣官房。武力攻撃を受けた場合や核戦争を想定した場合の対応は内務省が中心。地方政府は国から財政援助を受けて、市民防衛計画を作成して対応している。一方、平時の緊急事態対応は地方の専管事項。ただし、平時の災害対応等の緊急事態に対する中央政府の役割を見直す動きが見られる。
 韓国では、自然災害の中でも風水害による被害が圧倒的。危機管理といえば常に、北朝鮮への軍事的対応がすべての軸となってきた。しかし、それも二〇〇三 年七月まで。国家安全保障会議に危機管理センターが新設され、政権トップの指導力強化が志向された。主管官庁(行政自治部)にも警察庁のほか消防防災庁を新設し外庁とするなど、大統領府指揮下の一元的管理の強化が図られている。
 そして日本の危機管理体制は、大規模自然災害、重大事故、重大事件、邦人退避、難民大量流入、武力攻撃事態などへ、より的確な対応策を打てる制度と組織としか規定されていない。危機管理体制の違いは明らかである。
 

「没落国家ニッポン」とならないための処方箋

 だからこそ、繰り返し書く。わが国各政党は、政権を担当した場合のマニフェストに、ビジョン、経営理念および戦略を示すこと、それと併せて、政府の危機管理体制を構築・維持する基本方針と具体策と予算を公示することを提言する。
 日本国民は待望している。「救国の宰相よ、中興の宰相よ、出(いで)よ!」と。 「経営破綻から脱し、持続可能で良質な経営をする経営者よ、出よ!」と。
 失われた二十年は、もはや十二分に味わった。これが失われた三十年となるのは願い下げである。そのために求められる処方箋は次の五点である。
①世界における日本の位置づけ(役割、イニシャティブ)を示すこと。
②憲法・軍事・外交について、歴史観、世界観に立った所信を表明すること。
③国民の誇り、文化、夢・希望・信念・目標(いわば民意)を代弁すること。
④そのために必要な制度(の改廃)と財政の裏づけを示すこと。
⑤技術立国、教育立国などの国家戦略を教育制度の指針とともに示すこと。
 国家、企業として、リスク・マネジメントのビジョン、経営理念および戦略を打ち出すならば、国民のみならず、アジア、世界に注目される。Japan dissing(日本は尊敬できないから、顧慮しない)という最大級のリスクを避けるためには、日本のリーダーシップに相応の尊敬と注目が集まることが必定である。
 それゆえに、わが国のリスク・マネジメントと危機管理において、「政治家や官僚たちの夏」を大いに熱くしてもらいたいものだ。
 そのために国民も独立し、自由の代わりに、コンプライアンス(法令順守等)とCSR(国民の社会的責任)という二枚のパンに、自己・家族の危機管理態勢準備、内部統制(修身治国平天下、自助・共助・公助)、国民ガバナンス(善良な市民としてリスク・マネジメントと危機管理態勢の構築・維持)を挟んだ「サンドイッチ」を作ってほしい。前号でも述べた、このサンドイッチには、幼児、少年、青年、盛年、そして老年に対し、夢と希望、誇りと信念、思いやりと助け合い、自信と方法を与えるものである。
 人は誰も人生のリスク・マネジャーたらねばならない。そして、自分と家族の生活リスク・マネジメント・オーケストラの指揮者(コンダクター)たらねばならない。
(この項次号に続く)

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