実践リスク・マネジメント

リスク・マネジメントは2009年11月、国際標準(ISO31000)となりました。

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菅首相も日本相撲協会も学べる 実践的「企業人のリスク管理術」

(2011年3月 5日公開)

<提言>──武井勲(武井勲リスク・マネジメント研究所=TII=所長)

ビジネス情報月刊誌「エルネオス」2010年9月号掲載
 
■大阪大学招聘教授も務めるリスク管理の第一人者である武井勲氏が、半世紀を迎えた
リスク・マネジメント学の蓄積をあらゆる組織と個人の視点から捉え、処方箋を示す──

人生に似るビジネスとスポーツ

 空のきれいな秋を迎えるというのに、気持ちの晴れる明るい話が少ない。最近では……と振り返れば、なんと南アフリカでのサッカー・ワールドカップまで遡ってしまう。岡田ジャパンのおかげで、日本中に希望と自信がみなぎった。ベスト4入りの目標は果たせなかったが、初の決勝トーナメント進出は快挙だ。勤務中に眠くなるリスクを積極的に取ったのを思い起こされるビジネスマンがいっぱいいるにちがいない。
 スポーツにおける一挙手一投足や、ビジネスにおける意思決定にはリスクが伴う。夢、希望、自信、決断、実行の力が雌雄を決する。リスクは、不安、恐れ、心配の元になる。不安などを克服するには、“勇気を持って試みること”(リスクの原義)が必要だ。勇気をもってリスクをうまくコントロールし、マネジメントした者に与えられるのが勝利の栄冠である。
 スポーツもビジネスも、人生と似たところがある。いずれも将来のことは分からない。すなわち、不確実性とリスクに満ちている点が似ているのである。前二者は一種のゲームだ。人生は個人、家庭、組織、社会等の幸・不幸に直結するので、ゲームよりやや重い。
 

リスク・マネジメントは半世紀の歴史をもつ

 リスク・マネジメントの動きは、およそ半世紀前に遡る。体系化されたのはC・A・ウィリアムズ・ジュニア教授が一九六三年に『リスク・マネジメントと保険』を著した頃とみられる。この本は、一九〇〇年以降、主としてヨーロッパやアメリカの企業が実践してきたリスク・マネジメントの歴史、理論、展望が体系的に示された最初のテキストであった。
 筆者は、一九七〇年代初めにウィリアムズ教授に師事し、世界初のリスク・マネジメントの資格試験制度誕生をそばで垣間見た。そして、七〇年以降、約四十年間にわたって米欧日の数千社に及ぶ企業が実践するリスク・マネジメントを見聞してきた。
 そこで、この間に考察してきたことを踏まえ、読者に実践的な企業人のリスク管理術として、その真髄を提言していきたい。政治、経済、社会、法律、技術、環境、生活などの各場面を通して、ビジネスマンの視点からグローバルな観点で捉え、リスク・マネジメントと危機管理に対する複眼的な実践上のヒントを投げかけてみたい。ビジネスの現場で、あるいは個人として、また組織人として等々、リスク・マネジメントと危機管理を実践する上での参考にしていただきたい。
 まず、「リスク・マネジメント」と「危機管理(クライシス・マネジメント)」の違いを説明しておこう。これを英語と日本語の違いくらいに理解し、混同している人が多いが、二つは明確に違う。
「リスク」とは、予想や予定との食い違い、つまり起こりうる結果の変動のことであり、「危機」とは生命、身体、財産、組織の存亡に係る甚大なリスク、ターニング・ポイントを指す。個人にとって普段の健康管理がリスク・マネジメントとすれば、救急医療のためにホームドクターやターミナルケアに備える遺言信託、介護を含む事業継続計画(BCP)など、緊急時または不測の事態への対処が危機管理に当たる。
 両者の定義については、次号以下で随時説明していくこととして話を進めよう。
 

菅政権のリスク・マネジメント

 ちょうど一年前、日本国民は政権選択という大きなリスク・テーキングを行った。この歴史的な出来事は、良い結果をもたらしたのだろうか? それとも悪い結果につながっていくだろうか?
 リスク・マネジメントでは、このように将来がはっきり分からないことを「不確実性」と呼ぶ。この不確実性が、すなわちリスクなのである。
 何が不確実かというと、「政権交代してよかった」という結果になるか、「政権交代など、しなければよかった」という結果になるか、確実なところは誰も知らない、分からないということである。「そんなの関係ねえ!」という芸人の表現が子供の人気を集めたが、「そんなの分からねえ!」というのが不確実性である。
 それにしても、一年前は熱気に満ちた選挙戦であった。「政権交代」を合言葉にした鳩山政権は八〇%近い支持率でスタートし、半年近くも国民の支持率が不支持率を上回った。
 国民は、鳩山由紀夫政権とそれを引き継いだ菅直人政権から、リスク・マネジメントと危機管理に関し、いくつかの教訓を得た。
 列挙してみよう。
①期待は裏切られるもの。
 2トップによる「政治とカネ」が鳩山由紀夫政権の命取りになった。コーポレート・ガバナンスならぬガバメント・ガバナンス、もしくはガバナンスがしっかりしていないと、政権も企業も継続できない。それは、かつての西武鉄道、大和銀行、最近のJAL、日本振興銀行などの例を見れば、すぐに理解できる。
②軍事・外交の素人が総理大臣を務めることが可能な国がある。
 社長が、もし「外国営業は国内営業とはずいぶん違うということが分かりました」と言って辞任したら、その企業へのツケは、かなりのリスクになる。あるいは、危機をもたらすほどのリスクになってしまうかもしれない。
③マニフェストは公約と考えた選挙民には、公約違反はコンプライアンス(法令順守等)違反と映る。
 これは民主主義の基本原則ではないか。
④口蹄疫に対する農林省、及び担当大臣の対応について批判が厳しかった。
 会社法上の内部統制(リスク・マネジメント)は、農林省など各省レベルには存在していないように見える。
⑤小泉内閣以後、安倍、福田、麻生、鳩山と、二年ともたない政権がころころと変わってしまう日本政府のリスクは何か。
 Japan Dissingという深刻なリスクが出現した。日本政府が国際的な政治責任─企業でいえば、CSR(企業の社会的責任)を果たせそうにないからである。九〇年代のJapan Bashing、Japan Passingに続いて、ついにJapan Dissing(日本は尊敬できないから顧慮しない)にたどり着いてしまった。「たどり着いたら岬のはずれ」では困るのである。Japan Dissingは最大級のリスクだ!
 

政府に薦めるリスク管理の処方箋

 菅政権には、リスク・マネジメントのエッセンスであるサンドイッチをよく味わっていただきたい。それには、図のようなサンドイッチ方式(次ページ図参照)で企業同様のリスク・マネジメントを実行してもらえばよい。
 まず、二切れのパンを用意する。
 一枚は、マニフェストのコンプライアンス(法令順守等)を重視するパン。そして、もう一枚は、Japan Dissingや鳩山前首相のようにルーピー(浮世離れしている)などと揶揄されないように、国際的な社会的責任(企業の社会的責任)を果たすというパンである。
 これが用意できたら、次に、おいしい三つの具を挟む。
 具その一 損失の危険の管理(国家の危機管理体制を整える)。
 具その二 内部統制(各省庁別のリスク・マネジメントの要諦、PDCAサイクル〈Plan=計画→Do=実行→Check=評価→Act=改善〉を回すと同時に、政府・国家全体に横串を刺したPDCAサイクルを回す)。
 具その三 ガバナンス(統治能力)。
 このような「リスク・マネジメントのサンドイッチ」が作れれば、国民は政府に安全・安心・安定を期待できるのである。
 

日本相撲協会に薦めるリスク管理の処方箋

 横綱・白鵬の涙で締めくくった大相撲名古屋場所。その開催の直前に日本相撲協会は、力士三十一人が野球賭博に関与していたと発表。日本相撲協会による賭博の実態調査で、野球賭博のほかマージャン、花札、賭けゴルフなどに三十六人、計六十七人の力士や親方が賭博行為に関与したことで、解雇、降格、謹慎などの処分を受けた。
「日本相撲協会は統治能力を欠いている」と川端達夫・文部科学大臣に非難されたが、村山弘義・外部理事(元東京都高等検察庁)を理事長代行に立て、日本相撲協会のリスク・マネジメントと危機管理の仕組みを構築し、維持していく道をとった。相撲部屋に警察の捜索が入るなど、暴力団関与の解明が進められてきた。相撲も世界にファンが多い。グローバルな視点で、まず次の五点セットでリスク・マネジメント改革に臨んでもらいたい。
①一点突破の危機管理を──。理事会のガバナンス体制を一新し、“持続可能なものに”改善せよ!
②新理事会の責任において協会運営、特にリスク・マネジメントの基本方針を打ち出せ!
③リスクを洗い出し、評価し、優先順位をつけて、リスク・マネジメントを実行するための責任者を任命せよ!
④リスク・マネジメントの実行を担保するために部屋別の内部統制システムを構築し、PDCAサイクルを回せ!
⑤国民の信頼を回復するまで、理事長は定期的に記者会見を開き、情報開示を徹底して実行せよ!
 

国際標準になったリスク・マネジメント

 二〇〇九年十一月にRisk mana-gement─Principles and guidelines(リスク・マネジメント─原則及びISO31000)がISO(国際標準化機構)から公表された。そこには、こう書かれている。
「あらゆる組織のあらゆるリスクに適用できる」「組織がリスク・マネジメントのプロセスを組織のガバナンス、戦略及び計画、マネジメント(経営、管理)、報告プロセス、方針、価値観並びに文化(経営風土、社風等)に統合することで、ある枠組みを策定し、実行し、そして継続的に改善するように勧告する」
 さらに重要なことは、「リスク・マネジメント31000は認証を求めるものではない」、すなわち、多額のコストをかけずに「個々の機能、プロジェクト及び活動についても、その多くの領域と階層において、全部の組織に適用することができる」点である。
「多様なニーズを満たすために、リスク・マネジメントの実務は長期にわたり多くの部局の中で発達してきたが、統合的な枠組みの中で一貫したプロセスを採用すれば、リスクが組織横断的に有効に、効率的に、筋が通ったように管理するよう担保するのに役立つことができる」
 行政、地方自治体、学校、病院、大学、NGO、NPOなど、すべての組織と個人がISO31000の物差しを使ってみることを勧めたい。
 

バランスのとれた意思決定がコツ

 リスク・マネジメントの各個別部門、または具体的適用には、個別のニーズ、対象者、リスク感知の仕方、及びリスク判断基準がある。
 それゆえ、リスク・マネジメント国際標準の特徴は、リスク・マネジメント・プロセスの最初に 「リスクの脈絡(全体の位置づけ)を把握すること」を含めたことである。それを把握することは、組織の目的、組織が目的を追求する環境、そのステークホルダー、並びにリスク判断基準の多様性を捉えることになるからである。
 要するに、「リスクを見える化する」必要がある。リスクの見える化は、「リスク評価」に役立つ。
 
提言実践で
期待できる効果
 
 もしもあなたがこのシリーズのリスク・マネジメント提言を実行するならば、次の効果が期待できる。
①目標を達成する確からしさ(蓋然性)が高まる。
②先取り精神のある経営・管理(事前対応的マネジメント)が鼓舞、激励される。
③組織全体を通じてリスクを確認し、処理するニーズが認識される。
④好機と脅威の確認がスピードアップされる。
⑤関係する法律面、並びに規制面の要請及び国際的規範が遵守される。
⑥強制的、自発的にかかわらず報告が改善される。
⑦ガバナンスが改善される。
⑧ステークホルダーの信用と信頼が改善される。
⑨意思決定、並びに計画に対する信頼が高まる。
⑩リスク・コントロールが改善される。
⑪リスク処理のために経営資源を効果的に配分できる。
⑫業務運営上の有効性と効率を改善できる。
⑬環境保護はもちろん、安全衛生も高められる。
⑭損失防止、及び“ヒヤリ・ハット”事故(インシデント)のマネジメントが改善できる。
⑮損失を最小化できる。
⑯組織の研修を改善できる。
⑰組織の回復力を改善できる。
 日本は、リスク・マネジメントと危機管理に長けた国家・国民である。失われた十~二十五年の前までは。最近、「何もしないというリスク・マネジメント方策」が流行った。これからは、プラスのリスク・テーキングを積極化し、不合理なマイナス・リスク・マネジメントを合理的に改善し、飛躍させてみようではないか。
(この項、次号に続く)

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